城南町まちづくり倶楽部

札ン辻

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熊本からちょうど4里!
~札ン辻~

かつて本町には、江戸時代初期に定められた里程の元標がありました。里程とは現在でいう標識で、1里(約4km)ごとに設置されていました。本町にあった元標は、熊本の元標(熊本市新町・清爽園)からちょうど4里にあることを示していました。元標周辺は交通の要衝として、その元標南側の空地に高札場(幕府のおふれを掲示する場所)が設けられ、通称「札ン辻」として様々な情報が掲示されていました。江戸中期には「忠孝」「毒薬」「切支舟」「質地」「人売買」「西国中国」「ばてれん」に関する7枚が掲示されていたと記録されています。また「札ン辻」の横には、当時から美男として噂が高いお地蔵さんが祀られています。

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隈庄城跡(城の鼻公園)

隈庄城跡(城の鼻公園)

お城が道路整備で真っ二つに!

~隈庄城跡(城の鼻公園)~

隈庄城は、中世における益城地方の重要な古城で、天正15年(1587年)、薩摩の島津氏追討のおり豊臣秀吉が城内に宿泊したと伝えられています。元和元年(1615)の一国一城令により取り壊され、その後、道路整備により地形が分断されました。現在の城の鼻公園は隈庄城の一の丸、城南町役場は三の丸があった場所と言われています。

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